マーラン船・復港基金の再開宣言
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作成日時 : 2008/02/20 22:32
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道草楽描〜そのその34[海風〜其の六]
マーラン船・後姿●見よ!この美しい船形を〜その昔、沖縄と奄美が琉球國と呼ばれていた時代から、私が幼少の頃・昭和40年(1965年)ごろまで奄美・沖縄での交通手段は、海路を往来とする船の文化が中心にあった。現に私の父・伊東賢夫の子供の頃(昭和5〜10年)までは奄美の南部・加計呂麻(カケロマ)にもマ−ラン船(馬艦船)がよく来て風待ちをしていたと父が話していた。山原船(ヤンバル船)とも呼ばれるこのエンジンの無い木造帆走船は、戦後間もない昭和30年頃まで奄美・沖縄間の物資輸送の多くを担い、南海の島々を縦横無尽に快走していたのである。
マーラン船・前姿●バウ(前部)の巨大なカーラ・船底前部のヨットでいうキール部分と、スターン(後部)の大きなラダ−・舵(上図参照)が、2本マストのおおきな推進力を、風上に切れ上がるチカラに変え、向かい風をものともせず、打ち寄せる荒波を切り裂いていくのだ。船全長約14〜15m/マストの高さ約14〜15m/総重量推定約7t/定員約7〜9人・要予約(厳選なる審査あり)*クルーのおおまかな条件〜こどものとき万引きと、学校や会社をよくサボッた経験があること/いい加減な身銭で生きていること/航海途中、万がいち遭難したら絶海の無人島への漂着を全員でめざし、これ幸いに一年余日の漂流生活を楽しみ、体験記を本にして一発当てたいと願うこと/他人の喜びを自分の喜びに出来ること、これ大切!/魚が好きで、悪ガキをだまし、ホラ吹き老人と一晩中、酒やお茶が飲めること/紙が無くても外でウンコができること/そして、なんでもいいから一芸に多少・秀でていること〜かな
4〜5年前からマーラン船の建造を夢見て、絵を描いたり資料をさがしたりと、夢にむかってアリンコ的歩幅で少しづつ歩んではいたが、昨年2007の春頃、共に健造を夢見ていた仲間に「マーラン船やっぱり無理みたい」とサラリと言われたので、ショックのあまり「あぁそう〜」とサラリと返事をしてしまった。
そのあと、心の灯りがいまにも消えそうな、ゆらいだ日々をビリヤード突きながら悶々だらだら過ごしていた。
去年のサバニ・レースあと、マーラン船前姿・後姿の[楽描き]をながめていたら、やはりあきらめきれず、「ま〜いいか、やっぱりマーラン船に乗って遊びたいから、ひとりで出来るところから始めようかなぁ……」と、なんとなくだけど、ひとり[マーラン船復港基金]を再び始めたのだった。復興じゃなくて復港ですよ! いつのまにか消えてしまったマーラン船を、とりあえず最初の一歩として、珊瑚の入り江と白い砂浜の[天然の港]に再び浮かべるためにね。
ウンコの量を減らして、はや7ヶ月。なんと[ひとり・マーラン船復港基金]は、もうすでにマーラン船の 竜骨と船底板の材料費 と ヤクルト7本 を準備できたも同然になっているではないか! 残るは側板と甲板、帆柱2本と血染めの帆2広、そしてデッカい舵1本と泡盛10本。残りの材料と、とりあえずの工賃だけでもあと150〜200琉球萬くらいかなぁ……?
太陽(ティダ)降り注ぐ琉球と奄美の蒼い海原を「志ある仲間たち」全員で力を合わせて潮風と共に駆けぬけ、珊瑚の入り江の天然の港にマーラン船を停泊させ、サバニで白い砂浜に上陸してアダンのそばで焚き火を熾こし、魚を焼いて泡盛を酌み交わし、みんなで大笑いする日を夢見て、今日からもっともっとウンコの量を減らさねば!
満月の前日、2008年2月20日 ワタシ心に決めました。
ぜったい マーラン船に 乗ってやる!
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